Chapter 14 Miscellanyその他
服薬アドヒアランスの強化
世界保健機関(WHO)は,長期治療に対するアドヒアランスを「薬剤を服用する,食事療法に従う,あるいは生活習慣の改善を実行するといった本人の行動が,合議した治療者の勧めにどの程度一致しているか」であると定義している1。その後,英国の国立医療技術評価機構(NICE)の指針でも,アドヒアランスを「本人の行動が,合議した勧めにどの程度一致しているか」と定義した。服薬アドヒアランスには,本人と処方者の協力および合意が求められる。NICE は,本人に同意能力がある限り,服薬しない権利を尊重すべきであると推奨している2。こうした判断が有害な転帰につながる可能性があると処方者が判断した場合は,本人の判断理由と処方者側の懸念を記録しておくべきである。実際に,NICE は統合失調症の治療に関するガイドラインのなかで,抗精神病薬が処方されていない場合の心理社会的介入の有効性に関する研究を増やす必要性を強調している3。しかし,未服薬例を対象とした研究を組み入れた,こういった精神力動的介入に関するメタ解析4やシステマティック・レビュー5では,抗精神病薬を用いた治療の優越性が確認されている。最新のシステマティック・レビューでは,精神病症例(抗精神病薬なしまたは低用量)に対する心理社会的介入の効果が抗精神病薬治療と同等であることが示された6。
服薬アドヒアランスは臨床転帰の改善に直接関連する。統合失調症 62,250 例を 20 年間追跡した研究では,抗精神病薬を使用している期間は非使用時と比較して,自殺による死亡率が有意に低く,全死因死亡率を考慮すると,クロザピン服用に関連して最も有益な転帰が認められることが報告された7。当然のことながら,WHO は「特定の治療法を改善するより,アドヒアランス介入の効果を高める方が,人々の健康に与える影響がはるかに大きい」と述べている1。これはつまるところ,よりよい薬剤が必要なのではなく,アドヒアランスの向上が必要だということである。
アドヒアランスは複雑な行動で,変化させやすい基礎的要因によって影響を受ける。そのため,ノンアドヒアランスの決定要因は,症例毎に,また要因毎に焦点を絞った介入によって修正することができる。アドヒアランスを高める介入のほとんどは,妥当な理論的枠組みに基づいていない,または方法論的厳密さが欠けているとして批判されている8。質の低い研究やそれらの結果は,異なる状況では再現されない場合が多い。アドヒアランス介入に関する最新のコクラン・レビューでは,182 件の対象論文のうちバイアスのリスクが最も低かったのは 11件の研究のみであったと報告され,この現象が浮き彫りとなった9。
服薬ノンアドヒアランスの割合
アドヒアランスに関するレビューでは,一般的に約 50%のケースでは処方された通りに服薬せず,この割合は慢性身体疾患および慢性精神疾患で同様であると結論付けられている9。しかし,この割合はかなり単純化されている可能性があり,完全なアドヒアランスはおそらく極めて低い割合でしかなく,大多数の症例では程度の差はあっても部分的なアドヒアランスを示し,また,自らの自由意思で薬剤を全く服用しないケースも少数存在する10。
アドヒアランスの割合は,経時的にも治療状況によっても変わってくる。例えば統合失調症例の最大 25%に,退院後 10 日間で部分的または完全なノンアドヒアランスがみられ,1 年後にはこの値が 50%,2 年後には 75%に上昇する11。その他いくつかの研究では,25.8%が退院後 1 年以内に服薬を完全に中止することが報告されている12。精神医療施設によっては,ノンアドヒアランスの割合が最大 90%に達するという報告もある13。アドヒアランス不良の多くが処方者のあずかり知らぬところで発生している。1 件の研究では14,処方者が把握しているノンアドヒアランスは半数に過ぎなかった。別の研究では,治療抵抗性統合失調症の治療のため紹介された症例の 35%において薬剤の血漿中濃度が治療域未満で,その多くが血漿中濃度ゼロであった15。
ノンアドヒアランスの影響
薬剤のアドヒアランス不良は,転帰悪化の主な危険因子であり,それには統合失調症16-18,双極性障害19,うつ病20, 21での再発等が含まれる。さらに,アドヒアランス不良は,様々な健康上の便益も損なう。例えば,抗うつ薬を服用しているうつ病例と比べると,服用していない症例では心筋梗塞のリスクが 20%高まる21。服薬ノンアドヒアランスは深刻な結果をもたらしうるが,それらはルーチンのモニタリングを実施することで予防できる。実際,精神疾患例の自殺と殺人に関して全英で行われた調査によると,処方通りに服薬しないケースの管理について方針を定めている医療施設では,定めていない医療施設と比べて,自殺率は 20%低いことが明らかになった22。当然のことながら,アドヒアランス不良症例における転帰悪化の大きな要因は,服薬が中止されたときの特性による(突然中止され,モニタリングも行われていない場合が多い)。ほぼすべての向精神薬について,突然の中止は予後を悪化させることが示されている(脱処方に関する項を参照)。
アドヒアランス向上のための戦略
重度の精神障害患者においては患者毎の介入によりアドヒアランスが向上する可能性が高いことが,システマティック・レビューで示唆されている23。さらに,NICE は様々な病状におけるアドヒアランスについてのエビデンスを報告している。結論としては,すべてのケースで推奨できる具体的な介入方法はない。
この分野でノンアドヒアランス症例に対象を絞った研究はほとんどなく(こうしたケースでは研究への参加を拒否する確率が高い),アドヒアランス低下の具体的な要因が特定されることはほとんどない。多くの研究で小さい効果量しか認められないのは,単に焦点が定めることができない方法論の結果かもしれない。介入マッピング(IM)の枠組み24を用いると,ノンアドヒアランスの決定要因を認識し,根底にある要因の修正を目指したエビデンスに基づく方法を選択するための明確な道程ができる。IM により,標的を絞った,本人中心かつ実行可能な介入を行う際の基礎作りができる。
介入のマッピングをする
ステージ 1 ─ノンアドヒアランスを招く要因を認識する25, 26
一般的な要因をカテゴリー毎に以下にいくつか記載する。
服薬ノンアドヒアランスの決定要因 | |||||
意図的なノンアドヒアランス | 意図的でないノンアドヒアランス | ||||
疾患に関連した要因 | 治療に関連した要因 | 医師および医療機関に関連した要因 | 患者に関連した要因 | 環境に関連した要因 | |
服薬の意志がない 病識の不足 誇大妄想 妄想 認知機能障害 思考障害 |
副作用 非機能的な信念 |
治療的関係 フォローアップの欠如 限られた診察時間 |
否認 病識 併存疾患 身体的障害/障壁 |
家族の考え方 文化的信念 宗教的信念 |
忘れっぽい 不規則な生活習慣 |
ステージ 2 ─ノンアドヒアランスの決定要因をエビデンスに基づく介入に結び付ける27
アドヒアランスを高める介入 | |
意図的なノンアドヒアランス | 意図的でないノンアドヒアランス |
心理教育はあらゆるアドヒアランス介入の基礎であるが,行動変容の要素がなければそれほど強い効果は得られない。口頭と書面の両方で情報を提供する 動機付け面接により目標を設定する |
服薬レジメンを簡単にする 薬局による介入─服薬エイド |
アドヒアランス療法によって服薬または疾患に関する非機能的な信念を探り,情報提供と目標設定を行う。多くの時間と複数回のセッションが必要 認知行動療法によって,アドヒアランスを妨げる残遺症状をなくすまたはコントロールする。治療に関する非機能的な信念に対応する 認知矯正療法によって,精神病症例の認知機能障害を軽減し,思考障害に対応する マインドフルネスにより症状を軽減する 副作用を定期的かつ周期的にモニタリングする 治療的関係─当事者は担当の医師を喜ばせようとする傾向がある。医師側が批判的にならないような態度と寛大さを示せば,当事者は自らの非機能的な思考や行動を伝えることができる 家族介入:心理教育と家族療法 |
服薬と日常活動(例:朝食,歯磨き,就寝前)を結び付ける テクノロジーを利用する:メッセージサービス,電子メール,電話 身体的障害のある患者を対象とした薬局による介入(例:ボトルを開ける) |
ステージ 3 ─服薬アドヒアランスを評価する28, 29
評価方法 | 評価項目 | 利点 | 欠点 |
直接的(客観的)方法 | |||
血液検査 | 薬物/代謝物の血漿中濃度 | 正確 |
侵襲的 費用がかかる 個人差:代謝が速い患者か遅い患者か すべての薬剤に対して信頼度が高いわけではない(付随する本文中の考察を参照) ゼロとなった場合のみ明確な解釈が可能 |
間接的(主観的)方法 | |||
錠剤数 | 飲み忘れた錠剤の数 | 使用が簡単(臨床試験で有用) |
実臨床では手間がかかる 錠剤数からはアドヒアランスレベルが大幅に過小評価されるという重要な研究結果がある14 |
電子データベース─臨床/薬局記録 |
ノンアドヒアランスの履歴 薬局の調剤・受け取り記録[例:Medication Possession Ratio(MPR)] |
アクセスが容易 ノンアドヒアランスの患者を簡単に特定できる 費用がかからない 非侵襲的 |
薬剤が摂取されている証拠としては信頼度が低い。薬剤を受け取り,所有していることを示すにすぎない |
自己報告 | 妥当性が確認された評価尺度(質問票)[例:服薬アドヒアランス評価尺度(MARS)] |
使用が簡単 費用がかからない |
報告バイアスを受ける 医師を喜ばせようとする傾向がある アドヒアランスを大幅に過大評価する 主観的 |
電子モニタリング装置 [例:Medication Event Monitoring System(MEMS)]14 |
薬剤の容器が開けられた回数と取り出された量の(推定)割合 |
最も正確な方法の 1 つ 客観的 服薬行動に関する追加情報が得られる |
費用がかかる 容器がかさばる 薬剤摂取の証拠にはならない─容器を開けたのみである 患者は監視されていると感じる |
血液検査では,検体を採取した時点での一部の薬剤または代謝物の正確な血漿中濃度を知ることができるが,服薬行動のパターンやアドヒアランスのレベル,アドヒアランスを変化させうる要因に関する情報は得られないことに注意する29。
クロザピン,オランザピン,リスペリドン等の一部の抗精神病薬では,血液検査で血漿中濃度を直接測定するのが有用であると考えられる。注意しなければならないのは,これらの薬剤は固定用量で投与しても,血漿中濃度に多少ばらつきがあり,部分的なノンアドヒアランスを正確に判断することは不可能なことである(完全なノンアドヒアランスはすぐに明らかになるが,部分的なアドヒアランスと完全なアドヒアランスを区別するのは難しいことがある)。
アドヒアランスのモニタリングと服薬態度の評価
一般に精神科医はアドヒアランスの評価について,立ち入った/客観的な方法を使用するより直接的に聴取する方法を好む傾向があり,既述したような部分的なアドヒアランスやノンアドヒアランスは放置されてしまうことがある30。NICE では,例えば先週等といった具体的な期間内に服薬しなかったことがあるかどうか,批判的にならないような態度で本人に尋ねることを勧めている2。
服薬に対する態度について話し合う際の指針や骨組みの助けとなる,様々な評価尺度やチェックリストが作られている。最も広く普及しているのは Drug Attitude Inventory(DAI)31で,薬剤の服用に関するポジティブな質問項目とネガティブな質問項目を織り混ぜて構成されており,完全版は 30 項目,簡易版は10 項目となっている。DAI は,各項目に該当するか否かを本人自身が記入するデザインである。合計スコアは,服薬に伴う有益性と有害性のバランスについて,本人が全体としてどのように考えているかを示し,アドヒアランスの指標となる。DAI で評価した服薬に対する態度は,経時的なアドヒアランスの有用な予測因子となることが示されている32。他にもチェックリストとして,Rating of Medication Influences Scale(ROMI)33,Beliefs about Medicines Questionnaire34,服薬アドヒアランス評価尺度(MARS)18等がある。
服薬エイド
明確に服薬しようという意志はあるが,思考にまとまりがない,認知機能障害がある等の理由で服薬が困難な症例には,毎日服用する複数の薬剤を 1 日 4 回分まで整理して収納できる,コンパートメントタイプの「コンプライアンスエイド」が有用である可能性がある。ただし,注意しなければならないのは,ノンアドヒアランス症例のうち,単に服薬を忘れていたと報告するケースは 10%程度にすぎず35,服薬エイドは,病識が欠如している場合や服薬の意志がない場合には役に立たない。製剤によっては,ブリスターパックから取り出してコンプライアンスエイドに入れると安定性に問題が生じるものもある。ノンアドヒアランス例に処方されることの多い口腔内崩壊製剤がこれに含まれる。さらに,服薬エイドには,薬を詰めるのに手間がかかる(費用がかかる),急な処方の変更が難しい,特に薬を入れる過程で間違いが起きやすい等の問題もある36。
抗精神病薬のデポ剤/持効性製剤
臨床試験のメタ解析では,維持療法に持効性製剤を使用すると,経口薬を使用した場合に比べ,相対的な再発リスクは 30%低下,絶対的な再発リスクは 10%低下することが示されている37, 38。NICE では,経口薬に対するノンアドヒアランスが明らかな症例および/または持効性製剤を好む症例に対する選択肢の 1 つとして,持効性製剤を推奨している3。しかし,ノンアドヒアランス例において抗精神病薬の経口薬から持効性注射剤に切り替えても,その症例におけるノンアドヒアランスの決定要因には対処できないことに言及しておかなければならない。このことは,最近のシステマティック・レビューにおいて,第二世代抗精神病薬の持効性製剤を処方されていた症例の中止率は 50%超であったとの報告により浮き彫りとなった39。抗精神病薬持効性製剤の処方によってノンアドヒアランスは「治癒」されないが,薬剤の突然の中止とその影響は防止され(いずれの持効性製剤でも血漿中濃度は緩やかに低下する),アドヒアランスレベルを確実に知ることはできる(注射剤は投与されるかされないかのどちらかであるため)。
持効性製剤はおそらくあまり利用されておらず,例えば米国の研究では,ノンアドヒアランスが直近で認められていても持効性製剤が処方されるケースは,1/5 未満であることが示されている40。
持効性製剤に代わって使用されるのは抗精神病薬の長時間作用型経口薬であり,週 1 回投与が可能な penfluridol41等がある。監視下での投与により注射は不要となるが,手慣れた症例では経口薬を摂取したふりをすることがあるため,アドヒアランスに関する確実性は同じとはいえない。
米国では Abilify MyCite の使用が承認されている。これはアリピプラゾールに送信センサーが埋め込まれた製剤で,これにより錠剤が服用されたことを確認できるようになっている。その有効性に関するエビデンスは少ない42。
金銭的なインセンティブ
金銭的なインセンティブによって服薬アドヒアランスを高める可能性があることを裏付ける,多くの疾患領域における比較対照試験のエビデンスがある。本人の服薬に対して金銭を支払うような方法には極めて異論も多いが,この戦略がアドヒアランス向上に有効であったと感じている臨床医もいる。無作為化比較試験(RCT)では,支払い停止後 6 ヵ月および 24 ヵ月の追跡調査時点で効果は維持されておらず,完全なアドヒアランスが達成されたのは,インセンティブを受けた症例の 28%のみであった43。他の RCT でも,試験期間中のアドヒアランスの有意な上昇と,支払いを停止した場合の追跡調査時のアドヒアランス低下が示されている44。金銭的なインセンティブの提供によって,本人の治療意欲が低下することはなかった45。健康に関連する行動に対する金銭的インセンティブの許容性を検討したシステマティック・レビューでは,このような介入には方法論的限界があることを考慮し,それらの妥当性と信頼度に関する懸念を提起している46。
(小澤 千紗)
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